主婦・57歳・岩田眞智
40代まで60kgちょっとと、わりと普通の体形だった私が、みるみる太り始めたのは、50の坂を越したあたりからです。雪だるま式なんて表現がありますが、私はまさにそんな感じで、1年ちょっとの間に、体重は80kg(身長は155cm)に達してしまいました。鏡に映る自分を見ても、まるで別人のようです。この激太りの要因は、「うつ」にあったと思います。おそらく更年期の影響だと思いますが、とにかくそのころの私は、わけもなくふさぐことが多く、やる気はあっても、体が動かないのです。体調は優れず、しかたなく家でごろごろしていうような毎日。それでも食欲だけはありましたから、いわゆる「食っちゃ寝」状態が続きました。こんな状態で、あれよあれよという間に体がふくらんでいったのです。こうなると、当然のように、体のあちこちに異常が現れてきます。高血糖、高コレステロール、脂肪肝・・・・。まるで、生活習慣病のデパートのようでした。特に問題だったのは、高血糖です。血糖値は280mg/dl(正常値は110mg/dl未満)、ヘモグロビンA1cの値も11〜12%(過去1〜2ヶ月の血糖値がわかる数値で、正常値は6.5%未満)にもなり、医師の勧めで、2週間の学習入院をしました。そこで基本的生活習慣を学び、退院後、それを生かした食生活の改善で、体重が減りだしました。体重が減り始めると「もっと体を動かしたい」と思うようになりました。そんなときに、たまたま興味を持って参加したのが、えにし治療院の中村考宏先生の骨盤おこしセミナーだったのです。中村先生の教えでわかったことは、自分自身の体について、いかに無知だったかということ。そして何も知らないまま、いかに自分の体に無理を強いていたかということです。特に骨盤が後傾している状態で、生活動作をくり返すことのリスクは、自分の経験からも身にしみてわかりました。「腰割り」はそうしたからだを理解した上で始めたものですから、単なる健康法と違って、「やっていれば体が整えられる」という確信を持って、取り組むことができました。私がやっているのは、もっぱらイスに座ってのバージョン。これなら太りすぎの私にも、さほど難しくありません。毎日、家にいるときはもちろん、外でも少し時間があったり、気が付いたりしたときに、その場でちょこちょこやりました。回数は特に決めてなく、数回というときもあれば、10回、20回と続けるときもあります。
中村先生は、「骨盤を立たせて股関節がきちんと働き、全身の機能が活発になれば、自然に体重も減ってきますよ」とおっしゃっていましたが、確かにそのとおりでした。確実にスリムになっていく自分の体を見ているのは、本当にうれしく、ワクワクしました。それも単にやせるのだけでなく、ウエストにくびれが出る、お知りの位置が上がるというように、体が締まってメリハリが付いていく感じなのです。とりわけ、太った首の中に埋没していた、あごの線がくっきりしてきたときの感動といったらありませんでした。今では体重は59kg。激太りする前よりもスリムになりました。腰割りを始めた平成20年の7月が76kgでしたから、この1年半で17kgやせたことになります。ただし、その大半は最初の半年で減ったもので、ここ1年間は体重に大きな変化はありません。しかし、体形は引き締まり、体脂肪率も落ちました。継続は力ということを、あらためて実感しました。体重低下と歩調を合わせるように、糖尿病の改善順調に進んでいます。先ごろの検査では、空腹時血糖値、ヘモグロビンA1cともにほぼ正常値近くまで回復していました。経過観察のため通院している病院の医師からも、この調子で気を抜かないように励まされました。これまでスポーツとは無縁だった私が、いまやハーフマラソンに挑戦したいと思っています。まずは標準体重の53kgを目標に、これからも腰割りを続けていきます。
骨盤を立てるコツがわかるとおもしろい
えにし治療院院長 中村考宏
初めてお会いしたときの岩田さんは相当太っていて、動くのも難儀そうな感じでした。それが、今ではハーフマラソンを走る事を目指すほどになり、周囲を驚かせています。岩田さんがここまでになったのは、1にも2にも腰割りに取り組む前向きな姿勢にあると思います。骨盤や筋肉をより理解するために、専門の解剖書を買い込んだほどで、とにかく自分の体を自分の努力でよくしたい、という強い思いが伝わってきました。焦らず、コツコツ続けたのも印象的。ある時に骨盤を立てるコツをつかまれたようで、それからは、腰割りそのものが面白くなったようです。
(マキノ出版『安心』2010年4月号より)
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